妻は「ブダペストに行きたい」と言った

平成生まれ・子育て中の主夫のブログ

こどもが、不思議なくらい僕になつく

性神話という言葉があるように、一般的には、母親が日常の世話をする役割を担うことが多いこともあって、こどもは、父親よりも母親に甘えたりするイメージがありますよね。

 

ところが、うちでは、妻が働いて、僕が主夫として平日はこどもの面倒を見ているためか、

もうすぐ1才になる息子が、妻よりも僕の方になついてきます。

 

具体的に言えば、人見知りが始まりかけた息子は、親戚の家に行くと、

母である僕の妻よりも、父である僕の方に助けを求めてすがりついてきます。

 

僕としては、息子が誰よりも自分になついてくれてうれしい一方、

戸惑いといったら冷たすぎるかもしれませんが、なんだかふしぎな感じがあります。

 

世間のお母さんの場合でも、僕と同じように、自分になついてくる子供を見て「ふしぎだな」と思うものかも知れませんが、僕の場合は、母性神話という後押しがない分、余計不思議に思いやすいのです。

 

 

僕の妻のお母さんは、孫が妻よりも僕の方にすがってくる様子をみて、僕の妻に、「母性神話ってなんだったのよ!」と言っていたみたいです。

 

僕の息子が、1才に満たない今の段階で、妻よりも僕の方になついてくるのは、単純に、息子と一緒にいる時間が、妻よりも僕の方が長いからなのだと思います。

 

妻の友人は、うちに来て僕が息子をあやしている様子をみて、「~(僕のあだな)は父性がすごいね。。。あれ?母性?」と戸惑っていました。

 

こどもを生んだ母親が特別に持っている資質という意味での母性なんてものは、存在しないのだと思います。

 

子育てに向いているかどうかというのは、男であるか女であるかよりも、ずっと家にいても楽しく過ごしていられるかとか、それぞれの時期をどうやって過ごしたいと考えているかとか、そういった個人の性格や個別の事情の方が、大きいのだと思います。

 

あるとすれば、それは、盲目的に、「お母さんはすごいんだ!」と言って、そもそも存在しない母性を信仰しようとし続ける人たちだけではないでしょうか。

 

家計簿をつけてたら、クリスマスが楽しかった。

皆さんは家計簿ってつけてますか?

 

どこまで記録するかはさまざまだと思いますが、

うちは、エクセルで毎月の収支を把握するようにしています。

 

 

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(こんな感じ。)

 

収支で黒字になった分は、毎月、給与口座とは別の専用口座に移動するようにしているんですが、

まだ家計簿をつけ初めて1年目だったこともあって、年間の貯蓄目標は、11月までの積み立てから考えて、十万円区切りでキリのいいところに決めていました。

 

12月で1年間の貯蓄を締め切るように決めていましたから、12月の給料とボーナスの明細をもらって、12月の黒字分を割り出しました。

 

すると、給料とボーナスの一部を年間の貯蓄のほうに回しても、結構余る。

そのあまりから、旅行のための積み立てや、年末に買いたいもの・したいことのための費用を割いても、まだ少し余った。

 

そこで、妻が「余ったお金は使わなきゃ!」と楽しそうに言ったこともあって、

その余りで、年末は、いつもよりお金のことを気にせずに過ごすことにしたんです。

 

とは言っても、大きな買い物をするとかそういったことではなく、

クリスマスに子供を実家に預けて二人で行くランチのときに、好きなだけお酒を飲んでいいとか、

そんなくらいです。

 

でもね?これって、ボーナスで余ったお金を、数字としてちゃんと把握しているからできることなんです。

だって、ボーナスが入ってきても、なんとなく使ってたら、いくら余るか、わかりませんよね。

いくら余るかわからないのであれば、「余り」はないのと一緒です。

だって、「余り」は、「余り」として確定したおかげで、軽い気持ちで使うことができるんですから。

いくら余るのか計算しなかったら、

そもそも、使いすぎて赤字になるかもしれませんし、

実際には黒字だったとしても、「たくさん使っちゃった」と不安になってしまって、「余り」のお金を使う気持ちよさもありません。

 

「余り」が出たのは、

1年間の黒字額を把握していて、その金額が、貯蓄目標を超えたからです。

 

そして、そもそも、一年間の黒字額がわかっていたのは、

家計簿をつけて、毎月の収支を把握していたからです。



「余り」のお金を使うのは、楽しかったですよ!

そして、まだ残っています。使わなきゃ!

「使わなきゃ!」という風に、いつもとお金に対する思考を逆転させるのは、

お金と健康的に付き合って行く上でよいことなのではないでしょうか。

 

だって、いつまでも「貯めなきゃ」とばかり思ってると、お金にとらわれて、息苦しくなってしまいますから。


皆様も、お金のことを忘れるために、家計簿をつけてみてはいかがでしょうか。

夏目漱石の『それから』は、『こころ』より面白いと思った

こんにちは。hieshoumoyashitarouです。

 

皆さんは夏目漱石の『こころ』と『それから』を読んだことがありますか?

 

国語の教科書に載っている夏目漱石の代表作といえば、『こころ』ですよね。

 

実際に読まれているのも、『こころ』のほうが圧倒的に多いんだろうなあと思って、

グーグル検索で調べてみたところ、だいぶ古い記事(2005年)ですが、参考になるページ(『ほぼ日刊イトイ新聞の連載』)が出てきました。

 

新潮文庫の編集者さんによる、「新潮文庫のベストセラーランキング」ということですが、第一位が『こころ』で、『それから』は、第29位とのことです。

( http://www.1101.com/shincho/ )



でも、『こころ』って、実際読んでみると、よくわからなかったりしませんか?

そのわからなさには謎が含まれてるんだとか、その謎が奥行きになって感動を読者に届けるんだとかいろいろとありそうですけど。

 

教科書に載ってて一番売れてる『こころ』よりも『それから』の方が「面白いと思った」だなんて、あんまり自信を持って言いづらい。

 

でも、僕はそう思いました。

 

なぜなら、『それから』は『こころ』に比べて話がわかりやすいからです。

そして、そのわかりやすさのおかげで、夏目漱石の面白さが自然にこちらに伝わってくるような気がします。

僕は、『こころ』を読んだ後では、「うーん、なんかやっぱり面白い、かなぁ?」となってましたが、

『それから』を読んだ後は、「うお!すげえ!」「夏目漱石って面白いじゃん」と素直に思えました。

 

ちなみに、新潮文庫版の桐谷行人の解説も、わかりやすくて面白い。

主人公の態度をあっさりと斬り捨て、主人公のこころの動きを解説します。

 

ということで、夏目漱石を読んでみようと思っている方には、新潮文庫版の『それから』がオススメです。

 

昔はつまらなかった『坊ちゃん』が面白かった- 「大人」になるということ

 

こんにちは、hieshoumoyashitarouです。

 

皆さんは夏目漱石って読んだことがありますか?

 

僕は最近、夏目漱石の『それから』を読んでみたところ、非常に面白かったので、

 

他の作品も読んでみたいなあと思っていました。

 

それでもなんとなく読まないでいたんですけど、

週末に妻と「裏地あったかぱんつ」を買うために「しまむら」に行ったら、

同じ階に本屋さんがあったので寄ってみたんですね。

 

最近は、Amazonで本を買うのが習慣になっていましたし、

その本屋さんも、ぱっと見た感じ、「ショッピングビルに入っている普通の本屋」という感じだったので、僕は「なにも買うものはないだろうなぁ」と思いながら入ってみたんですね。

 

そしたら、お店を入ってすぐの文庫本の小説が平積みになっているところに、

夏目漱石が、色とりどりな服を着て物憂げな顔をしている。

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(先生、気持ち悪いですよ!)

(画像は、「産経ニュース」より引用。

http://www.sankei.com/photo/daily/news/161208/dly1612080016-n1.html)

 

そのときは、「昔の有名な小説家を復刻で推してるんだなぁー」と思ったんですが、

どうやら、没後100周年ということで、漱石フェアをやっていたみたいです。

 

それで、「わぁー、読みたかった『三四郎』だー」とか言って手にとってたら、思わず買ってしまったんですね。

Amazonの中古本と比べても、そんなに値段に差はありませんでしたし、

なにより、手に取った勢いで。

 

初期代表作の『坊ちゃん』と、

『それから』とあわせて三部作と言われている、『三四郎』と『門』を買いました。

 

いやでもね、昔『坊ちゃん』を読んでみようとしたことがあったんですよ。

家にありました。『坊ちゃん』。

なんか知らないけど、昔の偉い作家の小説って、文庫本が自分の家の本棚にあったりしませんか?

 

定価が安いですし、「教科書に出てくるような昔の偉い人の小説でも読んでみるかー」と思って、自分で買ってみたり、親が買っておいてくれたり。

でも、結局最後まで読みきらないでそのまま本棚に忘れ去られている。

『坊ちゃん』も僕の実家にあって読みましたが、そのときは、たしか、

「なんで怒ってばかりいるんだ」とか思ったきり、最後まで読まないでいました。

 

そして、今回、『坊ちゃん』を読んでみたら、面白かった。

 

 

読みながら、「どうして昔はつまらなかったのが、今読むと面白いんだろう」と考えましたが、

それは、たぶん、僕が「坊ちゃん」のようで「まっすぐな正直者」でなくなったからじゃないかと思いました。

良くも悪くも、「大人」になったんですね。

 

世の中の大人が必ずしも、不誠実だとか、正直でない、ということではありません。

そんなことはありえませんよね。

だって、誰だって、誠実で正直なときもあれば、そうでないときもありますから。

 

でも、一般的に「大人」って言ったら、それは、「世間慣れしている」とか「すれている」とかって意味を含みますよね。

そして、大人であることを言い訳にはできませんが、

生きていくなかで、適当にごまかしたりうそをついたりしたりして、その場をしのぐことがある。

 

坊ちゃんも、言っていることはむちゃくちゃです。

「あいつは頭がおかしい」って言ったり、同じ人のことを、「やっぱり良いやつだ」なんていったり。

 

それでも、「坊ちゃん」は、とにかく、「正直」です。

「正直でいよう」とする以前に、当然のように「正直」なんです。

 

だから、職員会議の場で、素直に過ちを認めて「それは私が悪かった」と当然のように言います。

その「坊ちゃん」のあまりに「まっずぐで正直」な態度に接して、周りの教職員は、おかしくて、思わず笑ってしまいますが、その周りの反応に対しても、「坊ちゃん」は、「なんで笑ってやがるんだ。悪いことを悪かった、って言ってるだけじゃないか」と怒ります。

 

そして、その怒りは、いちいち周囲の人に対して表明されるわけではありません。

「坊ちゃん」と僕たち読者たちとの間で、それもこっそりとではなく、あくまでも、「坊ちゃん」らしく、「まっすぐで正直」に語られるのです。

 

夏目漱石は、『坊ちゃん』を振り返って、「私は、赤シャツだ」と言っていたそうです。

 

赤シャツは、策を弄しながら平気な様子で、「坊ちゃん」たちをおとしいれ、最後には、「坊ちゃん」たちに「鉄拳制裁」をくらって成敗されます。

 

それでも、「赤シャツ」たちは、「坊ちゃん」たちに暴行されたことを警察には言わないままでいます。

そのほうが、自分たちのスキャンダルが明るみにならずに、「得」だと考えるんですね。

そして、「坊ちゃん」たちがいなくなった学校に戻って、それまでのように、小汚いことを繰り返して、世間を好き勝手に牛耳っていくようです。

 

読者である僕たちにとって救いなのは、東京に帰った「坊ちゃん」を、「坊ちゃん」が何をしても「正直なお人だ」と言ってほめる「清」という使用人のおばあさんが迎えてくれることです。

 

そして、「清」の他にも、「坊ちゃん」の「まっすぐで正直」な気性を買ってくれた人がいたのか、

「坊ちゃん」は、その後、仕事について暮らしていくことができたようであることが語られます。

 

夏目漱石は、どうして、「坊ちゃん」を書いたのでしょうか。

 

それは、亡くなってから100年が経過した現代を生きる僕らにも、

「なぜ『坊ちゃん』が面白く感じられるのか」という形で通じる問いなのではないでしょうか。

 

主夫生活を楽しく過ごすために、僕はこれだけ運動している

こんにちは、hieshoumoyashitarou です。

 

皆さんは、普段、運動ってされていますか?

 

僕はもともと、大学までサッカーやら登山やらをやってきたせいか、身体が運動するつくりになっているみたいで、

逆に、運動しないでいると、腰が痛くなってきてしまいます。

 

なので、会社で働いてたときも、週に1回は、1時間くらい外をランニングするようにしていました。

 

ところで、僕が主夫になって最初に困ったのが、頭痛がする程の肩こりでした。

 

主夫になってからも、週1回のランニングは続けていましたが、それだけだど間に合わないんですね。

 

日中は、買い物に行ったり近所の公園を散歩したりする以外は、基本的には家の中にいて本を読んだりなんだりしていますから、あまり身体を動かさない。

 

会社で働いてたときは、通勤で歩くのもありますが、仕事がコンビニの店員だったので、一日中ほとんど店内を動き回っていました。

 

そこで、「もっと運動しなきゃなー」と思い、時間をつくろうとするんですが、

0歳児の面倒を見ていますから、日中は、運動なんてできないんです。

 

妻が仕事から帰ってきてから、ということもできますが、

何時になるかは不確実だし、

寝るまでの短い時間くらい一緒に過ごしたいですよね。

 

ということで、確実に外に出て運動しにいける時間を確保できるのは、

妻と子供が寝ている早朝と週末だけです。

 

でもね、朝は眠い。週末は遊びに行きたい。

しかし、運動しないと肩をはじめとして全身が凝る。頭痛つらい。

 

この二つの思いがせめぎあった結果、

僕が運動するのにどれくらい時間をかけるようになったかというと、こんな感じです。

 

・平日:毎朝6時前に起きて近所をランニング(20分、3・4km)

・土曜日:近所のジムで筋トレ(1.5時間)

・日曜日:外をランニング(1~1.5時間、10~15km) 

自分でも、結構運動していると思います。

ただ、平日の朝のランニングについては、実際は、週3・4日という感じで、

1・2日はどうしても起きれません笑

 

なにが言いたいのかというと、

「ただの主夫でも、身体を動かすこと、って、結構大事だと思います」ということです。

 

なんか、自分でブレーキをかけてしまうことってありませんか?

「ただの主夫として生活しているだけなのに、そんなにやらなくていいんじゃないか」って。

「身体を動かすことに時間をかけるより、もっと、遊んだり、やりたいことをやるのに時間をかけたほうがいいんじゃないか」とか。

 

ましてや、

「普通に生活しているだけなのに、こんなに頭痛してつらいだなんて、自分が神経質過ぎるせいじゃないか」とか、別の原因を考えて不安になったりしませんか?

 

「身体を動かす」って、ものすごく単純な解決方法ですよね。

でも、僕の場合はこれだったんです。

しかも、上に書いた量をちゃんとやって、やっと、快適に過ごせる。

 

肩こりとか頭痛とかって、ひどいと、なにもできなくなるくらい辛かったりしますよね。

あなたのその辛い頭痛も、「運動する」っていう単純なことが、解決方法かもしれませんよ。

 

働いてるときは気がつかなかった、「先に食べてていいよ」と妻に言うことの意味

こんにちは、hieshoumoyashitarouです。

 

僕はいま主夫をやっていますが、今年の3月まではコンビニエンスストアで働いていました。

 

当時は、妻が妊婦で専業主婦。

 

僕は、24時間の3交代制。

 

店長っぽい立場をやっていたので、勤務時間も長くなりがちでした。

 

それで、朝番のときは定時が7-16時でしたが、どうしても、帰りは7時とか9時過ぎとかになってしまうんですね。

 

だから、あんまり遅くなるときは、僕は、妻に「晩ごはん先に食べてていいからね」と言っていました。

 

 

時は変わって現在。

 

僕は料理が好きです。

妻は食べるのが好きです。

 

今の、僕が料理を作って妻が食べるという方が相性が良いんですね。

 

自然と、僕も料理に力を入れるようになる。

 

それで、僕は、妻に、僕が作った料理を少しでもおいしいと思ってもらいたいですから、

妻の料理は、できるだけ、妻が帰ってきてから、フライパンとかで温め直す。

 

そうすると、料理を準備する手間が二度手間になります。

先に一人でご飯を食べるのも、味気ないです。

 

結局、僕は、妻が帰ってきてから、一緒にご飯を食べるようにする。

 

あるとき、僕は晩ごはんの席でこう言いました。

「~(妻の名前)に、おいしく食べてもらうために、がんばって作ってるんだよ!」

 

そのとき、僕はちょっと疲れ気味でした。

その週は、妻の帰りが少し遅くて、寝るのも遅くなりがちだったんですね。

 

それで、妻の帰りを待ってると、お腹は空いてイライラするし、

寝るのも遅くなるから、次の日も疲れ気味。

だから、「やっぱり、(妻の)帰りが遅かったら、ある程度の時間で食べなきゃいけないよね」ってことだったんですが、それでも、僕は妻と一緒にご飯を食べた方が僕としてもご飯がおいしいし、なにより、僕は、妻に、晩ごはんをおいしく食べてもらいたかったんです。

 

僕は妻に、怒ってそう言ったわけではありません。

妻は、残業が嫌いで、いつも、「もっと早く家に帰りたい」と言います。

それでも遅くなってしまうときは、もうしょうがないんですね。

 

金曜日の夜に、「今週ちょっと忙しかったね」みたいな話をしているときに、照れ半分、冗談半分な感じで、僕は妻に訴えるように、妻にそう言ったんですね。

 

そしたら、妻が、これもまた照れ半分・苦笑い半分みたいな感じでこう言いました。

 

「~(僕の名前)、よくそんなこと言えるね。」

 

そのときになって、初めて思い出しました。

昔、僕が、妻に向かって平然と「晩ご飯さきに食べてていいからね」って言ってたこと。

僕が遅くなっても妻が待っていたときに、「先に食べてていいのになぁ」って思ってたこと。

 

良い話ですね!

 

それとも、僕ら2人が、趣味もあまり無くて、人付き合いもあまりしないさびしい人たちだから、こうなるんでしょうか。

 

少なくとも、僕は、妻に対してちょっぴり、そう思ってましたよ。

 

結婚されている方々は、普段、どのような感じで過ごしていますか?

僕は1万円でクックパッドの株を買うことから株を始めた -株を始めるなら単元未満株がおすすめ

こんにちは、hieshoumoyashitarouです。

 

 

皆さんは、企業の株を購入してみたいと思ったことはありますか?

 

 

僕が初めて株を買ったのは、主夫生活を始めて数ヶ月経った頃の、今年の8月。

 

もともと、NISAが始まることで話題だった2014年に、楽天証券の口座を開いていましたが、

 

それ以降は、株には、ノータッチ。

 

いちおう、アプリだけインストールしてたんだっけ?

 

 

仕事を辞めて主夫になり、なんとなく、お小遣い稼ぎがてら、「株買いたいなぁー」と思ってたんですが、なかなか踏ん切りがつかない。

 

しかし、やはり、段々気になってきて、

少額から企業の株が買えるSBI証券の口座(後述:単元未満株・S株)を開いてみたり、証券会社のアプリに気になる企業をお気に入り登録したりして、僕は、ゆーっくりと、株の購入に近づいていったんですね。

 

それで、当時、気になっていた企業が、クックパッド

 

クックパッドの株は、2016年の年始あたりから、社内紛争が世間に明らかになり始めて、それが不評を買ったのか、大きく値下がりしていました。

 

でも、家で料理をつくるときなんかに使ってる分には、その社内紛争のことが、あんまり関係なく、やっぱり便利だったんですね。

 

ましてや、僕は、主夫を始めたばかりの頃で、毎日グーグルで検索して、クックパッドのレシピを参考にしていました。

 

証券会社のアプリで業績を見てみると、業績もかなり良い感じ。

 

そこで、僕は、「社内紛争っていうイレギュラーな要因で一時的に株価が下がっているけど、クックパッドのサービスはやっぱり便利。だから、落ち着いたら、また株価は戻ってくんじゃないの?」と思ってました。

 

それで、8月中旬くらいに、証券会社のアプリで株価を見ていたら、

なんか知らんけど、クックパッドの株がまためっちゃ下がってる。

結局、僕は、そのときに、クックパッドの株を購入しました。

そして、それが、僕にとっての、初めての株取引となりました。

 

そのとき僕が購入したクックパッド株は10株。購入金額は、約1万円。

基本的には、クックパッドの株は、100株単位でしか買えないことになっていますが、

上記の、SBI証券のS株という制度を使って、10株だけ購入することができました。

 

SBI証券のS株のような、企業が定めている株を購入する単位(100株とか1000株とか)未満の単位で、1株から株を購入できる制度を単元未満株といい、

他のいくつかの証券会社でも、単元未満株を購入することができます。

 

ただ、単元未満株の取引は、金額を指定して買うことができず、リアルタイムで買うことができない(購入決定から購入完了までタイムラグがあり、値段が動く)・手数料がちょい高などのデメリットがあるため、本格的に株取引を行う人の間では、あまり一般的でないみたいです。

 

しかし、僕は、やっぱり、株に興味を持った人が、「ちょっと始めてみる」のに、SBI証券のS株などの、単元未満株は良いと思うんです。

 

なにより、1万円で企業の株が買えるんですよ!

 

やったことない人にとっては、株っていうと、「なんか、全部なくなっちゃうんじゃないか」っていう感じですから、少額から一企業の株を購入できるメリットは大きいと思うんです。

 

僕は、自分のお小遣いから、お金を「使う」つもりで、1万円出しました。

 

株に興味を持っている方は、単元未満株から、株を始めてみてはいかがでしょうか。

 

 

・参考webサイト

 

http://www.kabu-navi.org/colum/2.html

証券会社比較 単元未満株とは?(最終閲覧日2016/11/27)

 

https://www.sbisec.co.jp/ETGate/WPLETmgR001Control?burl=search_domestic&cat1=domestic&dir=fraction&file=domestic_fraction_01.html

SBI証券 単元未満株(S株)とは(最終閲覧日2016/11/27)